2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
○赤羽国務大臣 下北道路につきましては、これももう長年、福岡県知事、山口県知事、また与党の国会議員の皆さんからも早期実現の要望を何度も受けておりまして、私自身も地元を視察させていただいたところでございます。 国交省といたしましては、地元の自治体と連携しながら、海上部を橋梁形式とすることを決定した上で、昨年十二月の有識者委員会において、概略ルートを三つの案から一つの案に絞り込んだところです。
○赤羽国務大臣 下北道路につきましては、これももう長年、福岡県知事、山口県知事、また与党の国会議員の皆さんからも早期実現の要望を何度も受けておりまして、私自身も地元を視察させていただいたところでございます。 国交省といたしましては、地元の自治体と連携しながら、海上部を橋梁形式とすることを決定した上で、昨年十二月の有識者委員会において、概略ルートを三つの案から一つの案に絞り込んだところです。
下北道路も海峡横断プロジェクトの一つでありながら、調査を再開していくというのであれば、これに反するじゃありませんか。その大事な判断を、大臣の問題提起と、この八枚の説明資料のみで行ったとおっしゃるんですか。 しかも、この八枚というのは、私が確認しただけでは、うち四枚は整備促進期成同盟会の資料をそのまま引用したものですよ。それだけで判断された、明々白々だと言って判断されたと、こうおっしゃるんですか。
ですから、災害が起こったときに、関門トンネルは通れなくなる、関門橋にも影響があるんだけれども、下北道路だけは動きますよ、そういう根拠はない、このことを指摘しておきたいと思います。 結局、二〇〇八年に政府が凍結して、それを復活させる正当な理由がないんです。あのときも実は自公政権ですよね。そして、あのときの担当大臣は公明党の大臣。そして、今も自公政権。そして、今も公明党の大臣。
では、大臣にとって、この関門会からの下北道路早期実現に向けての要望書というのは聞くに値しない要請だったということなんでしょうか。今読んでみて、大臣、この要望書についてはどのように受けとめておられるんですか。今、どうなんですか。
二〇〇八年、冬柴大臣は、こういう路線を格上げするようなことが起こった場合には国会にもお諮りしなければならないと答弁されていますけれども、今からの下北道路の進捗に当たって、これは国会に諮る事項になるんでしょうか。どうですか。
○麻生国務大臣 この大家先生の発言とか、今の話、いろいろありますけれども、少なくとも、この下北道路、私どもは第二関門というように記憶していたんですけれども、この第二関門の話につきましては、これは、いわゆるこの間の災害やら何やらも特に関係したんだと思いますが、とにかく、物流や災害時の代替路ということ、これはたびたび通行どめになったりしておりますけれども、重要な役割を持つ可能性のある道路という位置づけなんだと
きょうは、大塚国土副大臣もお見えですけれども、この点についての通告はないんですが、もしこの場でお答えをいただければと思っておりますが、BバイC、コスト・バイ・ベネフィットを含めた合理的な説明、なぜこの下北道路が選ばれたのか、この場でもし御説明をいただければと思いますが、いかがでしょうか。
下北道路以外のほかの海峡横断プロジェクトの関係自治体も、やはり地元の大橋の実現に大変期待をしていたわけですけれども、それから二十年がたって、この下北道路が決まったわけです。下北、下関だけがほかの海峡道路とどう違うのかというほかの自治体からの声がとても強くなっています。
一つは、大家さんが吉田幹事長と一緒に副大臣室に来た、下北道路の件ですという事実の指摘。二つ目は、吉田幹事長が私の顔を見てというやりとりの後、総理とか副総理がそんなこと言えません、そんなこと実際ないんですよ、森友とか、いろいろ言われていますけれども、でも私はそんたくしますという部分。
○国務大臣(麻生太郎君) 私も下北道路という名前は余りそんな詳しくないんで、第二関門橋という名前で呼んでいたんだという記憶が、私もその点は安倍総理と同じです。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 下北道路というふうには言っていないんですが、下関九州横断道路ですか、かつて、かつて第二関門橋と、こう呼んでいたんですが、三十年ぐらい前ですね。
特に、発言の内容が、例えばこの下北道路が棚上げになっていた、それから国直轄で四千万円の予算が付いたと、まさに事実に即しているわけでありまして、そして依頼に来た自民党の議員の個名もあって、非常に具体的な話の内容になっている。とても記憶違いあるいは作り事で話せる内容ではなくて、非常に現実的な話になっている。
次に、下北道路の建設に関しましてお伺いをしたいと思います。 今年の豪雪によって下北半島の国道二七九号線で数百台の車が立ち往生するなど、代替ルートのない地域では深刻な事態が度々生じているということが全国的に大きく報道をされました。防災という観点からも、地元からは長い間にわたってその必要性の声があったわけでございます。